信仰の自由とは何か
1ヶ月ぶりになってしまいました
もともと気が向いた時に書き進めるつもりだったのですがめちゃくちゃ時間が空いてしまった…マイペースにやっていきます
タイトルなんやねんって思う人もいると思うのですが、そのままの話をしたいと思います
突然ですが、私はとある宗教団体の3世です、どこのとはいいません
もしかしたら読んでいるうちにわかる人もいるかもしれないですが伏せていて欲しいです
父方の祖父母、両親、私と続いています、なので3世です
正直な話、私は信仰心は両親や祖父母たちほどありません
祖父母はすでに他界、母は結婚した時に入信したそうです
今では両親ともに立派な活動家です
なぜ私がそんなに信仰心がないのか
昔はそこそこ熱心な方でした
私の信仰心が揺らぎ始めたのは中学生の時でした
幼い頃は親の言われた通りに宗教行事に参加して、それなりに教えも叩き込まれていきました
それが普通だと思っていました
中学生になって、多感な時期
私はもともと歴史が好きで、中学生になると世界史分野も勉強することになりました
そこでぶつかったのが宗教というものでした
日本人は良くも悪くも何か一つの宗教を信仰している、という人は珍しい人種ということをなんとなく学びました
そんなときに、周りの友達を見て学校が休みの人に会合に参加したり、信仰とはなにか、のような話をしているのを一切見たことがないことに気づいてしまいました
その時に恐怖を覚えました
人と違うことが怖い、と
宗教?なにそれ、気持ち悪い
そんなことを言われるのではないかと思いました
それと同時にこれを続けていて幸せになれるのかと、疑問に思ったのです
両親は熱心だったので、夜は外出することが多かったです
兄弟三人で留守番だったり、一緒に行ったりもしていました
愛情もたくさんそそいでもらいましたし、私の人見知りしない性格は色んな人に会う機会が多かった活動家で身についたものかなとも思います
両親には感謝すべきことはたくさんあります
でも、この宗教については別件だと思うんです
社会人になってからは私の気持ちを察してくれているのか、あまり強く真面目に活動しろとは言ってきません
心のどこかでまた活動して欲しいとは思っているとは思うのですが
今の私には必要ないもの、と私は思います
いつ私が改心して、活動家になる可能性もゼロではないかもしれません
でも、現状私には必要ないと思ってます
両親が信仰を続けるのも止めたいとは思ってません
それは二人に信教の自由があるからです
何を信じ、指針に生きていくかは二人の自由だと思ってます
それと同時に私にもそれがある
本当はどこかで選ばせてくれたらよかったのになと思うこともあるのですが、まあそんなことしてくれるわけはないです
正直困ってるのは両親よりも組織の人に困ってます
色々あって私役職を持ってしまっているんです
本当はやりたくなかったんですけど…
で。私よりさらに上の役職の人が頻繁に連絡をしてきます
正直鬱陶しいです
今、再就職に向けてやっと落ち着いてきたところなのですが一番忙しい時に活動のことで頼まれごとをされたのですが、忙しくて手をつけられないのでできませんと丁重にお断りしたんです
なのに全然わかった!と言ってもらえず、時間がある時でいいから〜と全然折れてくれなかったんですよ
それでも頑なにできませんと言って一度追い返したんですけど、定期的に連絡が来るんですよね…
私は自分の人生の方が大事で、自分がやりたいことを優先させたいっていうのが全然伝わってなくて「ユウナギちゃんのためだから!」とか、自己満足で押し付けられても困るんですよね
そこからもっと嫌いになりました
無視するの本当は良くないと思ってますけど流石に鬱陶しいので最近は連絡無視してます
両親経由で連絡きたりしますけどそれも無視してます
誰が何を信じるか、それは自由ですし布教活動もある程度は自由だとは思うんです
宗教即悪とは思ってません
でもどのくらいの熱心さなのかとか、人によって違うので自分の熱量を押し付けてこられると流石にしんどいです
最近ちょこちょこ宗教二世、三世の信仰の自由について取り上げる記事とか動画とか見る機会も増えてきましたけど、実際簡単な話ではないと思います
そのまま信じる人もいるし、私のようにほんとうか?と疑問に思う人もいると思います
どこかで選択できるようになればいいのにな、とおもいました